神戸の神戸やないとこ

みくにあるはの個人的ブログです

前を向きつつ、病に負けつつ

2度の入院、薬をもらい、治療し

それから人生が始まった

 

思考障害、陰性症状

 

一般的にも気づかれにくいようだ あまりに失った時間が多い

幻聴、幻覚は2度あるがどちらも即入院したから、本当に分かりやすい笑

(だから、そっちが主体の人は楽で良いというわけではない もちろん。別の苦しみがあるとはある程度了解している。かなり妄想に囚われる形になっていることがあるね)

 

寛解している、と思う

しかし、薬の副作用…

なければ働いてたのに何度か辞めている

何をやっても仕事だとそうなるんじゃないかと

正直、怖い

 

恥ずかしながら、実家、年金頂いてる

 

あの友人は自殺した

僕はやっと歩き始めた感じがするけど

道はないのだろうか? と前は良く考えた

 

終わりなのだろうか、このまま

あるいは、このまま終わりたくはないと前はよく思っていたけど

別に漫画描けりゃそれで良くね? と最近思う

 

数十年前以前だと座敷牢、発狂死の世界

そうじゃあなかった幸せは確かにあるのだ

医療と制度のある国、税金を納めてくれる人々、そして親、、、

のおかげなのだ、本当にありがたい

 

何もできずに死ぬのだろうか?

と弱気になるとそういうことを考えて泣いてしまった

(上にもあるけど、最近はこの思考に反対の意見が出て来た。ずいぶんこの思考に囚われていた)

 

この恩を返せないまま、というのは少し違うけど(無料で漫画を描いてるのでほんのちょっと返せてると、ずうずうしく思う苦笑 この辺りは腑先生の意見もある)

 

プロやお金を稼ぐことが善であり絶対条件(なんの? 笑)だとナチュラルに思っていたんだけど、新都社で描くようになって、漫画をやるようになって、まぁいいかと思うようになった

 

根がとてもミーハーなので、基本的に売れているものに対する感度が高い

売れているもの=良いものである

という考え方が根強い(考え方というより感性かな?)のでそうなるとも言える

 

でも、まあ。良いんじゃないっすか

不良になろう。脳が不良品だし笑

 

社会的な身分でいえば、このまま終わっても別に良いと今は思う

仕方のないことも、ある

そう思うようになった


(この辺りは最近、戦国時代を調べるようになって思った。一寸先は闇ですね、あの時代 そして今のコロナも)

 

例えばプロの漫画家になったとして

その多忙さと神経を使うことから副作用が出ないとは限らないし、ね

 

来世があれば、彼と共に生きたい

高校生くらいで出会いたいなあ

 

まあでもあるかはわからない

そんなわけで、今日も描いて寝る

 

プロになるとかならないとかでなく

お金を稼ぐとかって話でもなく

ただ、漫画を描きたいので描いていこう

向上も勝手にやりたいからやるだけ

 

このまま終わるとかどうのとか、くだらない

別に、どうでもいい

社会的身分や富や、あるいは何か?

そういうのを求める人生は終わった

 

多くの人とは違うのだから

違うように生きていけば良い

俯く必要はないが、逆に張り切る必要もない

 

ごくごく、自然体に生きれば良い