神戸の神戸やないとこ

みくにあるはの個人的ブログです

病を患って得た良いもの【統合失調症】

 まず友人達。

 会うことはなかっただろう人たち。

 

 失った友人。

 彼のことを思わなければ僕はない。

 

 感謝。

 家族、周りの人、見ず知らずの人。

 意識しないと忘れそうになるが生かされていると思う。

 

 時間の価値。

 若いときの十数年を失ったから、日々を必死に生きることを覚えた。

 今は上手くいかないことも多い。学んでこなかったものを学ぶ時期。

 それでも、運が悪かったからこそ、時の大切さに気づけた。

 

 絵を描けるということ。

 絵描きになるのか、物書きなのか、迷って書いている。

 どうなっていくかはわからない。

 しかし、一度は”描こうとするとブレーキでもあるように、あたまがまとまらない”という症状で奪われた、絵を描けるということが戻ってきた。

 

 間違った考えを直せたこと。

 これはまだ修行中だが、己の不出来さ。己の間違った多くの考え。

 病の前と、病の中で培ってきた”上手くなければ存在価値がない”とか”上手くなければ意味がない”とか、他人はいいとしても、自分に向けて思っていたこと。

 それは違う。極めたいと思う心は大切でも、それが重要なのではない。

 できることで奉仕する。力がないからできないではなく、やること。

 

 算命学という視点

 かじった程度で嗜んでいるわけではないですが、それでも良い視点でした。

 運命学を学ぼうと思った理由は知的好奇心もありますが、統合失調症や幼少期の環境などから、患っていたときに自暴自棄になっていた期間が長く

 俺の人生は終わってるなと、そういう気持ちから産まれた行動力もありました。

 青写真としてこれからがあるという視点は、100%当たっているかとか、そもそも当たっている当たってないと言うより、ともかくそういう視点があるのだな、と。

 それを学べたことが大きいです。

 先のことなんてこういう学問(占いではなくあえて学問と言います)でないとうっすらともわからない場合があります。そういう厳しい状況もある。

 それを助けてくれたことに感謝です。

 

 病の中で、無力感を何度も味わった。

 次第に崩壊してとぎれとぎれになっていく意識。

 心をコントロールできないがゆえ、陥った数々のこと。

 恥ずかしさもあるが、本当のところ病だから仕方がなかったという思いも自分の中にはある。

 それほどの体験だった。

 

 人生は何でも楽しめるということ。

 精神病院は2度はいったが、実際のところ楽しめた。

 救急病棟で若い人も多かったし、入ってきて1、2週間もすれば普通な人も多い。

 トランプばっかりやっていたり、二度目はだめだと言われたがテーブルゲームを持ってきて遊びまくっていたりした(笑

 よく話したり、泣いたこともあった。自殺の話や、退院するという段階で薬をやって茫然自失で若い子が帰ってきたときなど。

 それでも、かなり楽しめた。

 久しぶりの風呂が本当に気持ちよくて、三流芝居みたいな話だが”命の洗濯”だと思った。

 貴重な体験だった。

  幻覚や幻聴、妄想も終われば楽しめて笑い話にした。

 

 例えば神に命令されて殺しましたとか、極稀にそういうニュースがあります。

精神病者の殺人率は一般人と比べても低いか同程度です)

 で、僕の場合任意で入院するときに襲ってきた妄想は、神ではなくゲームマスター

ゲーム大好きでしたが、まさかここでもゲームマスターとは(笑

 

 単に絵のこと、表面的なことを見れば僕はかなり遅れて、周回遅れだろう。

しかし、大勢の人が体験しない体験をしたこともまた確かなことで、役立たせようと思えばいくらでも役立たせて、面白くできる。

 作品には作者がでるという。にじみ出るという。確かなことだ。

 いくら消しても、他者のことを思って忘我してもそれでもでる。

 例えば自分を捨てて売れるもの、売れ線だけを作るとしたって、やっぱり自分が出る。そもそも売れ線を作りたい! と思う自分だ。

 

 そういうわけで、これからどうなるかはわからないけれど、やっぱり作品は作っていくのだけれど。

 

 自分本意でないサービス精神の大切さを学んだ。

 この世の基本は愛だから。愛がないと苦しくなる。

 

 スターいつもありがとうございます。